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10月13日(土)の平安楽市に出店します。
ブースNoは91 です。


東近江市の観峰館で下記の写真の企画展が行われて
いましたので、妻と二人で行ってきました。
今日29日は大阪大学の福永教授による
「三角神獣鏡と雪の山古墳」という講演会も行われて
いましたので、この講演にも参加しました。


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雪野山古墳は東近江市の雪野山の頂上にあります。

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空からみるとこのように前方後円墳になっていることが分かります。

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未盗掘であった為に、多くの遺物が出てきました。

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 銅鏡が5つ、その他刀、矢じり、土器等、重要文化財に
指定される貴重なものです。
この内、三角縁神獣鏡が3面、他の日本製の銅鏡が2面
出土しています。この三角縁神獣鏡が中国の魏の時代の物です。

三角縁神獣鏡、3面

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日本製の銅鏡、2面

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矢じり

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下の様な状態で、埋蔵されていたとのこと
人体はあったのか、なかったのかは書かれていませんでした。
たぶん、土に戻っていったのでしょう。
大和政権と近い人で、武人だということです。

DSCN2857

 続いて、大阪大学の福永教授による
「三角縁神獣鏡と雪野山古墳」という題名で1時間半講演されました。

大変興味があり、面白い講演でした。

話の結論は、教授の考えは次のことです。

「邪馬台国の所在地は、三角縁神獣鏡の分布等から推測すると
近畿以外には考えられない。」


とのことです。
考古学を先行している学者の意見はほとんどこの考えだそうです。

以前から、邪馬台国の所在地は、九州説と近畿説の2つがあり、
それについて、学者間での論争とか、小説の題材として取り上げ
られていました。

私の考えですが、
邪馬台国の所在位置を推定する根拠として、魏志倭人伝に
書かれている邪馬台国へ行くまでの記載と日本での歴史的遺産の
2つで推測されているようですが、特に邪馬台国に行くまでの旅の記載の
解釈のあり方で色々取れる様です。

 
福永教授は、時代ごとの銅鐸の分布、画文帝神獣鏡の分布、
上方作系獣帝鏡の分布、舶載三角縁神獣鏡の分布 の4つの分布図
を示し、大和政権の政治戦略と絡めて説明されました。
ここでは、その図は載せませんが、合理的な説明でした。

この時代は、記録がない時代ですので、中国からの文献と
日本での考古学のデータ(発掘物等)から推測するしかない
とのことです。


久しぶりの面白い講演会でした。